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「0」誕生物語

「0」誕生物語

~0の起源の追求~

 

私たちが日常的に使っている数。数は数字によってあらわすことができる。数字は1,2,3,4,5,6,7,8,9の9種類と、今回取り上げる0を含めて10種類ある。これらを組み合わせることによって、大きな数をあらわしたり、小さな数をあらわしたりすることができるのである。

 

数字にはさまざまな種類がある。私たち日本人が普段使っている数字は「アラビア数字」と呼ばれるものであり、10種類の文字を使って表される。一方、日本でも見かけることのある、ⅠやⅡ,Ⅲといった数字は「ローマ数字」と呼ばれるものである。これは、アルファベットを使って表される数字であり、ⅠのほかにⅤやⅩ,Ⅼ,Ⅽ,Ⅾ,Ⅿ,ↁ,ↂ,を使って表される。

そして、「漢数字」もある。漢数字は、一、二、三、四、五のように漢字で表される数字のことだ。

 

日本人は「数」と「数字」の違いが分かっていないといわれる。皆さんはこの違いを説明できるのだろうか。数と数字には次のような違いがある。

 数の定義:数とは、物の順序・量などの概念そのものを意味するもの

数字の定義:数字とは、数という概念を表すための記号(文字)のこと

これらを踏まえたうえで、0の誕生物語を見ていこう。

 

 

「0」は不要だった

エジプトにあるピラミッド。古代につくられたものとは思えないほどの正確さを誇る。それは高度な数学の象徴なのだ。しかし、古代エジプトでは数学は主に暦や土地の測量などにしか使われておらず、そのため、「0」は不要な数であった。0日という日付はないし、面積が0の土地などは存在しないからだ。

 

「0」を使わないと数は表せない

紀元前500年ごろからメソポタミア文明で「0」が使われ始めたとされているが、使われる前は「62」という数と「602」という数はどのように表し、区別していたのか。それは同じだったのだ。つまり、区別がつかないのだ。それでは大変不便である。そこで、「602」を6と2の間に斜めの楔を並べて表すようになった。これが、初めて「0」を記号化したものである。しかし、この記号を「数」としては扱っていなかったようだ。

 

12時の次は1時だった

紀元後130年ごろにプトレマイオスが「0」を使用した計算を行ったとされる。当時は六十進法で計算されることが多かったため、1時間は60分、1分は60秒というようなことが求められた。「0」で計算したのにもかかわらず、整数部分である1時間単位や角度そのものには「0」を使用せず、12時の次は0時ではなく1時だった。ギリシャでは、0を表す記号として「ο」(オミクロン)を使用していた。この記号が「0」と似ていることは偶然とされる。

 

「0」はアルキメデスの公理が成り立たない

アルキメデスは「ある数とある数の和(ある数を2倍した数)は、元の数より必ず大きくなる。」というアルキメデスの公理を定立した。しかし、「0」には成り立たない。そのため、「0」は数ではないことになってしまうのだ。ギリシア数字にもローマ数字にも「0」を表す記号はない。

 

「0」は「無」と「無限」の考えに発展していき、数として定義された

「0」はやがて「無」と「無限」の考えにまで発展していった。そして、「0」を数として定義したのは「無」や「無限」を含む宇宙観を持ち、哲学的に「無」を追求した5世紀ごろの古代インドにおいてである。数学者のブラーマ・グプタは0と他の整数との加減乗除を論じた。0÷0=0以外は現代にも通ずる同じ定義なのだ。「0」はやがて「アラビア数字の0」として西欧に広まっていった。

 

 

「0」は不思議な数であり、

その役割もとても大きい。

古代インドで生まれた「0」は

数学の飛躍的な進歩なのだ。

作成:Quized編集部